12/08/2005

精霊使いゴリ

昔々のことである。
キリマンジャロ山麓に広がる大森林を、ある夜、山火事が襲った。そのただ中で、一匹の類人猿が死にかけていた。
彼をゴリと呼ぼう。煙火に追われて逃げ惑ううち、群れをはぐれ、ついに炎に包囲されてしまったのだった。
空気が薄い。炎熱と轟音で気が遠くなる。何時間も走り続けで、体力が尽きていた。地面は焼けそうに熱かったが、もう限界だった。ゴリは倒れた。
そのとき、彼の頭上で、ファイアストームが呼んだ雨雲が、ついに大粒の雨を落とし始めた。

夜が明けた。緑の森は焼け焦げた荒地に変わり果て、まだ燻っていたが、火災は鎮火していた。
そこに、一本の木が燃え残り、幽霊のように立っていた。青々と繁っていた葉は残らず焼け落ち、珊瑚色に輝いていた小粒の実の房は干からびて燃え殻のようになっていた。その、実を伝って‥‥
一滴の雫が、大の字になって昏倒するゴリのだらしなく開いた口に落ちた。
「苦い!」
頭髪(というか、それにあたる部位の体毛)が逆立ち、ゴリは跳ね起きた。
それが人類とコーヒーとの最初の出会いだった。
前夜の試練にもかかわらず、いつになく爽快な気分なのは、カフェインの影響で脳の血流が増加しているからだ。刺激のせいで、姿勢がまっすぐになっていた。ゴリは類人猿から猿人に進化したのである。
(この明晰な気分は‥‥)
彼は頭上に手を伸ばし、焦げたコーヒーの実を摘み取って、表面に残った露を舐めてみた。
(この雫のせいか?)
進化したおかげでゴリの推理力は大幅に向上していた。
(もっとこの雫を飲まなければ。そのためには‥‥)
アイデアが夜明けの光のように心に射した。
「昨日と同じことを起こすんだ。ただし、今度は苦しくないように」

前夜のことを思い出す。
炎。いや、その前に‥‥
(雨が何日も降らなかった。木々が乾いていた)
何かの陰になって、雨に濡れなかった消し炭を集めてくる。焼け跡だけに炭はたちまち山をなした。
(風が強かった。枝が擦れあって葉がザアザアと鳴っていた)
焼けぼっくいどうしを擦り合わせてみる。摩擦で熱くはなるが、これでは疲れてしまう‥‥
しかし何時間か試行錯誤を繰り返した末、ゴリは硬いまっすぐな枝と木の皮の紐を組み合わせた、原始的な火きり弓を手にしていた。すぐに小さな火花がおこる。
(火。いつでも呼び出せる、おれの火だ。おれは炎の精霊を操る力を手に入れた。次は)
ゴリの脳裏に、疾風のおたけびが蘇る。
(風だ)
ゴリは火種に顔を近づけ、息を吹きかけた。火は生き物のように反応し、徐々に育って、やがて炎をあげて燃え出した。ゴリはくらくらする頭を振って、次は何かであおごう、と思った。
(水)
近くの小川に走って、両手で水を汲んでくる。コーヒー豆を浸してある。そして手を炎にかざす。
「あちちっ」
当たり前だ、とゴリはコーヒーの木に手をついて、反省のポーズをとった。どうすればいい?
うつむくと、地面が目に入る。
昨夜の火事で焼けて、土が固くなっていた。それどころか、木灰が釉薬のように溶けて、所々ガラス質になっている。
(土が‥‥石のように)
再びアイデアがスパークした。
(土を、火で、石に変える。そこに、水を閉じ込める‥‥)

精霊使いゴリの朝は一杯のコーヒーから始まる。
土も、水も、火も風も、いまや彼のしもべである。水はけの良い斜面に開いた洞窟住居を出て、お気に入りのマグカップから芳しい液体をすすりながら見下ろす草原は、彼の王国であった。大火の傷跡から、日に日に立ち直りつつある。その草原を‥‥
一匹の類人猿が、無様に背中を曲げて、のろのろと横切っていく。
(待てよ)
あの不器用なぴょこぴょこ跳ねるような歩き方には見覚えがある‥‥
ゴリは斜面を駆け下りて、闖入者に追いついた。
「お前は‥‥」
声をかけると、その類人猿は、ぼんやりと曇った瞳でゴリを見上げた。その顔に、何か思い出そうとして思い出せないような、不満げな表情が浮かんだ。
「これを飲めっ」
ゴリが差し出したマグカップを素直に受け取り、類人猿は一口飲んだ。
「苦い!」
とたんに背筋がしゃんと伸び、髪が逆立ち、目は焦点が定まって知性の光にきらめいた。
(そうか、これが自分にも起こったのか)
ゴリが感心して見守るうちに、もう一人の猿人はゴリを見分けて目を丸くした。
「あっ! 兄さん!?」
「ラー、やっぱりお前か!」
猛火の中で生き別れになった兄弟だった。
「「いったい今までどうしてたんだ‥‥」」
二人は同時に言った。
どうすればこの奇跡の体験を伝えられるだろう?
いずれ何か思いつくだろう。
こうして歴史が始まった。

7/14/2005

最強のラーメン

「最強のラーメン」「幻のラーメン」「日本一細いラーメン」
四谷三丁目の駅から歩いていける範囲に、こんなような看板の店々があった。でも一度も入る機会がなかったので、味は想像するのみである。
「最強のラーメン」歯が立たない。
「幻のラーメン」箸にも棒にもかからない。
「日本一細いラーメン」見えない。
五反田に勤めるようになって、こんなのも発見した。
「門外不出の味 京都屋台ラーメン」
京都には、広い大通りを、ぐるりを塀で囲まれ、客は門から出入りする、屋敷のような立派な屋台が上下している。あるとき、その一両が、関東にその味を問うべく、名神高速に乗り入れ、一路東へとひた走るのだった‥‥
やがて、後に続くものも、次々と現われるだろう。

7/13/2005

八兵衛

五代将軍綱吉の頃。甲斐の国、中山道沿いのとある丘の上に、ちょっと知られた団子屋があった。
そこに黄門一行が通りかかると、当然八兵衛が団子を食おうというのだ。
天気は晴朗、丘から見晴らす山景に、ご老公もまんざらではない。
「いい景色ですなあ」
「まったくでございます」
「絶景ですなあ」
「うーんうまい! この団子は絶品だ!」
八兵衛はさっそく床机に腰掛け、両手の団子を交互にほおばっていた。
「おい八! この景色を前にして、その態度はどうよ!? お前もたまには旅情とかだな、もっとこう普段思わない‥‥」
「やだなあ助さん、オイラだってちゃんと哲学してますよ」
「ホントか!? 何を考えてるんだ」
「この国の未来のことです。神君(徳川家康)様が天下を治められて以来、世の中は平和が続き、繁盛しています。人の往来もますます盛んになるでしょう」
「その通りだな」
「そうなると大切なのは街道です。人通りが多くなるにつれ、今の細い道では、いずれ交通量をさばけなくなるでしょう。道を広げ、雨が降ってもぬかるまない よう工夫しなければなりません。荷車や早馬で事故がおきないように、専用の道を作ったり、上り下りを分けるのもいいかもしれませんね」
「なるほどなあ」
「しかし街道ぞいに休息の場も必要になります。例えばこの団子屋ですけど、周囲は比較的平らですね。あのへんに馬つなぎ場を作って‥‥隣に駕籠置き場を‥‥井戸を‥‥団子屋も広げなくっちゃ‥‥おみやげを‥‥」
のちにこの丘は、中央自動車道談合坂サービスエリアと呼ばれることになる。

ジンジャーの世界

セグウェイ・ヒューマン・トランスポータ、またの名をジンジャー。
搭乗者の重心移動を検知、その望む方向に運ぶ、現代人の生活様式を変えるとまでいわれる乗り物である。
あるいは人間をセンサーとして自走するロボットとも言えるかもしれない。
いずれ、そのような、人体と相互にフィードバックしながら動作する自動機械たちの時代が来るのだろう。そのとき、それらは皆ジンジャーと呼ばれるのかもしれない‥‥

一人の若い女が、ツノダのジンジャーに乗って走っていく(多くのメーカーが各々のブランド名で売っているが、みんなジンジャーと呼ぶのだ。「自転車」や「自動車」と同じように)。その後を、買い物カゴを載せた貨物ジンジャーが追っていく。
彼女は、町にまだ段差があったころからの古いアパートに部屋を借りている。歩道からアパートのテラスに乗り上げるとき、ジンジャーは一瞬躊躇したように立 ち止まり、底面から、柔軟だが強力な、生きた指のような形のジャッキを出して、すばやく器用に段差を乗り越える。もちろん、彼女のポーターもすぐ後に続 く。

街の外でも、同じようなテクノロジーが使われている。林の中の、あるかなきかの山道を、営林署職員(あるいはダムかなんかの測量技師)が行く。彼の先人た ちを悩ませた重装備は、いまや彼にぴったりと付き添うジンジャーが担っている。彼がひ弱なわけではない‥‥万が一ジンジャーが損傷したときのための訓練に 怠りは無い‥‥だが彼は体力や注意力をもっと別のことに振り向けることができるのだ。

悪路用ジンジャーが普及したため、ハイキングは昔以上に一般的なレジャーとなった。体力に自信が無くとも、無理なく登山や徒歩旅行を楽しむことができるのだ。山野は老若男女、いろいろな人々で賑わっている。
そのとき、雨が降り出し、花のような雨傘ジンジャーが次々と開く。肩にとまって平衡をとり、常に最適な角度で雨を(もちろん周囲の人々も)避けるのだ。

一機のハンググライダーが音も無く空中を滑っていく。実際にはモーターグライダーだ。登坂用を兼ねるモーターが間歇的にプロペラを駆動して、自動的に高度 を維持する。センサーが常に周囲の気流や物体を見張っており、墜落や衝突を避けている。赤外線センサーが地上のホットポイントを見つけると、搭乗者の視野 に位置が投影され、彼(彼女)はほくそ笑む。すなわち上昇気流。すなわち高度。すなわちエネルギーだ。バッテリーを再充電できるし、何より、気流に乗って 大気を駆けのぼるのは楽しいだろう。
搭乗者は特別な訓練を受けたわけではない。飛行ジンジャーを身に付けた者は、本能的に飛べるようになる。練習は楽しく飛ぶためのものだ。
人類は鳥に進化したのだ。

5/13/2005

祝日

昔々のことである。
世の中にあまりに戦争が多かったので、世界中から代表者が集まって、対策会議を開いた。
最初に、鉄のように厳しい顔をしたドイツの将軍が提案した。
「一年のうち、戦いを休む日を何日か決めたらどうだろう。クリスマスなんかどうだね」
豪華な衣装のアラブ人が不機嫌に答えた。
「それはキリスト教徒の祭日だろう。我々の都合も考えてもらわねば困る」
「マホメットの祭日も休みにすればいい。しっかり休んで、準備を整えて、有事の際には正々堂々力いっぱい戦おう」
大きな壁掛けカレンダーが運ばれてきて、一月毎に切り離され、机の上に並べられた。
各国の代表者は、それぞれの国の重要な記念日や祝日を、赤丸で囲んで印をし、小さく簡単な説明を書き込んだ。
新年、クリスマス、万聖節‥‥
イスラム教の祝日や断食月、いろいろな宗教の祭日‥‥
各国の建国記念日や偉人の誕生日‥‥
赤丸はどんどん増えていった。
最初に提案した将軍は、いい加減に止めようとしたが、長いガウンと羽団扇の中国代表が、七月七日の七夕の節句に印をつけたのを見た瞬間、声が出せなくなっ てしまった。それは昔、彼が最初に部下を死なせてしまった日で、将軍は個人的な記念日として、今も毎年、教会で祈るのだった。
アルメニア人、ベルギー人、カナダ人‥‥
キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、無神論者‥‥
各国代表の半分ぐらいは軍人や武器商人の関係者で、赤丸が増えるにつれ顔色が悪くなっていったが、結局どうしようもないとあきらめて、一緒になって休みを増やしていった。このままでは、自分たちに都合が悪い日ばかりに戦わされる羽目になるからだ。
将軍はまたも止めようとしたが、そのとき誰かが、将軍の母の命日に丸をつけた。その日、彼は戦地にいた。臨終に立ち会えなかったことで、身を焼くような後悔に苦しんだ。
(続けさせろ)
将軍の内心で誰かがささやいた。
(続けさせろ)
彼が人々を止めようとするたび、同じ声がした。
声はだんだん大きくなっていった。
(なんとかしてくれ)
将軍はどうしようも無くなって、自分と同じくらい好戦的なアラブ人に、懇願するような目を向けた。ところがアラブ人も同じ表情で自分を見ていた。二人はびっくりして視線をそらした。
とうとうカレンダーは赤丸で一杯になってしまったが、一日だけ、五月十四日だけがまだ残っていた。四年に一度しか来ない二月二十九日でさえ、イギリス代表がつけた印があるのに。(女性から男性に求婚するのが許される日である。確かに戦争には都合が悪いだろう)
「これで終わりか? 他にはないのか?」
将軍が、会場を真っ赤な顔で見回した。混乱していた。混乱する自分に対して激怒していた。自分がなぜ、戦争を根絶したいのかわからなかった。
アラブ人も、誰彼と無く、普段仲の悪い他の宗派のイスラム教徒まで捕まえて、熱心に話し込んでいた。
しかし、世界中のどこにも、五月十四日を大切な日にしている国は無かった。

そのとき、会場の片隅から、恥ずかしそうに、一人の若い女が進み出た。
南太平洋の小さな島からやってきた、ヒナカナリリ王女だった。あまりに小さな国なので、貧しく、人手不足で、王女が一人、随員も無く会議に参加したのだった。
「あのう‥‥その日は私の誕生日です」
ドイツ人とアラブ人が、それぞれ紙とペンを掴んで、彼女の元へ、争うように駆けつけた。

そして長い年月が過ぎ、誓いは破られ、今も戦火は絶えないけれど、世界中の誰もが、その日を祝っている。

4/23/2005

水陸両用タクシーの話

大分県の県木は豊後梅、県鳥はメジロ。そして県乗り物はホバーである。大分は日本で唯一、ホバークラフトの定期航路が存在する県なのだ。
騒音や燃費など、ホバークラフトにはいろいろ弱点があるが、大分県民はこの乗り物を便利に使っている。
特に大分市内には、四人乗りのホバータクシーを運用している会社が二軒もある。大分ホバーと豊後ホバーである。大分駅前の乗り場には、南国らしくカラフルな小型エアクッション艇がいつも待機しており、列をなす乗客を収容しては、次々に滑り出して行く。
ホバータクシーの特長はもちろん水陸両用だということである。離島の多い大分県では、とても重要なことだ。客が行き先の島を告げると、運転手はただちに道 路を離れ、最寄りの海岸から海に乗り入れる。海上の巡航速度は時速一〇〇kmを超える。豊後水道は多くの漁船や客船で賑わっているが、ホバータクシーは障 害物の間を鳥のようにすりぬけながら、一路島々へと急ぐのだ。
しかし問題が無いでもない。運転手たちは海の男なのだ。当然気が荒い。だから、特に地上の道を走っているときなど、ライバル社のホバーが必要以上にゆっく り走っている(と思える)と、「じゃまでごわす」とか怒鳴りながら、もうガンガンぶつけてしまう。だが、安心してほしい。エアクッションのスカートが、衝 突の打撃をかなり吸収してくれるのだ。ホバータクシーは安全な乗り物なのである。

無題

死神博士は激怒した。いならぶ助手たちには、手術着を通して肩から立ち上る青白い炎がはっきり見えた。解剖台上にだらりと広がった蛙のような贅肉の塊、こ りゃなんだ? 体の自由は奪われていても、意識は保っているだろうに、抵抗する気力も無い濁った眼、見苦しく緩んだ体、内臓器官の不調を疑わせる荒れた 肌。
博士は握ったメスを逆手に持ち替え、膨れた腹に突き立てた。
「───! ───!」
苦痛に身をよじり、初めて生き物らしい徴候を見せた被験者に一瞥もくれず、博士は後ろ上方の見学室に向き直り、手術帽とマスクをかなぐり捨てて、ガラスの向こうの軍服の男に指を突きつけた。
「やいゾル! この被験者はどういうつもりだ! いまどき秋葉原だってまだ生きのいいのが見つかるぞ。もっといい素材を持って来い!」
「おまえは板前か!」
ゾル大佐は言い返したが、内心ばつの悪い思いをしているようで、弱弱しく言い訳した。
「頭脳明晰、身体頑健、志操堅固なんてのは滅多におらんよ。改造しても逃げちゃうし」
「人事みたいに言うな! まったくもうっ」
そそくさと手術室を片付ける助手たちを尻目に、博士は足音も荒く手術室を後にした。

死神博士は鎮静剤の必要を感じていた。かつては傲慢以外の罪に縁の無かった彼だが、ゾル大佐と組んでから怒りっぽくなった。普段着のグレイのスーツに着替え、研究室のデスクに戻ったが、思索に集中できない。
こういうときはあれに限る。手の中に、一組のカードが、魔法のように忽然と現れる。タロット。ピアニストのように長い、汗ばむことのない指に操られ、カードは風にそよぐ木の葉か、流れる砂のような音楽を奏でた。
絶好調だ。ひとしきりカードと戯れた後、博士はデスクの上に、過去、現在、未来を表す三枚のカードを裏向きにスプレッドした。次の一瞬、残りのカードが隠しポケットに消える。
おもむろに過去のカードを開く。
死神。ラッキーカードだ。
次に現在。
悪魔。
(悪魔女医‥‥しばらく会っていないな)
デスクの上のカードをなでると、それらは消滅する。未来はいつも見ない。彼は占いを信じない。

悪魔女医は、死神博士の同僚である。かつて彼の助手として組織に加入したのだが、他の十把一絡げと違って本物の才能があるのがわかったので、さっさと独立 させた。以来、国際人体改造学会の最先端の座を、二人で分け合ってきたと信じている。手術の腕もいい。最近は、痛くないという理由で彼女を指名する被験者 が多いということだ。
(軟弱者どもが)
とはいえ、死神博士自身も、自分の手術は頼みたいと思っている。世の中の誰に対しても冷淡で、よくて実験材料、しばしばそれ以下としか思わない博士だが、彼女は別だ。
ただひとつ困ったことがあるとすれば、タコ好きの変わり者だということだ。
確かにヒョウモンダコの毒性や、擬態能力は大したものだ。だが改造人間のモチーフとしてはやはりイカだ。イカで決まりだ。このへんで意見がかみ合わず、い つも喧嘩になってしまうのだが‥‥季節の和菓子でも持って遊びに行こう。手づから茶を淹れてくれるだろう。いつものように。

世界時計の間

死者は、いつもこの薄暗い荒野で目を覚ます。
昼も無く、夜も無く、草一本も生えない、見渡す限りの赤土の荒れ野だ。目につくほどの岩も無い。何度も何度も、繰り返し蘇るあまたの死者の足の下で、すっかり磨り減ってしまったのだ。
ここは永遠の流刑の地だ。ひとたびこの景色を目にした者は、これからずっと、何度も見ることになる。

こ の荒野にも果てはある。その先は文字通りの地獄だ。だがこの場所には目に見える変化というものがない。風景と同じくらい荒廃した時間が、いつまでも不毛 に流れてゆくだけだ。だから死者たちはみな、この感覚遮断の牢獄に耐えかねて、地獄をめざして歩みだすのだ。方角はどうでも構わない。他に行き先は無い。 荒野のかなたは永遠の絶滅収容所があるばかりだ。
誰も確かめたものがいないが、地獄の亡者の間に伝わる根強い噂があって、地獄にもまた限りがあ り、首尾よく横断しきったものは、楽園か現世かそれとも別の 何かか、とにかく別の場所に行けるのだという。もっとひどい地獄だという意見ももちろんある。当然だ。希望は地獄で最悪の拷問具だなんてことは誰でも知っ ている。そして永遠に蘇りつづける死者たちは、無限に死の行進を続けるのだ。

しかし――
あるとき、ひと群れの亡者たちが、それまで誰も試さなかったことをした。地獄から赤い塵の荒野に戻っていったのだ。彼らの手には、何本かの粗末な道具が握られていた。そして亡者たちは――邪魔が入らぬよう、境界から十分に離れて――穴を掘り始めた。
幾 星霜の間、無数の足に踏みしめられてきた赤土は、ほとんど堆積岩のように硬くなっていた。だが、道具を持ち込んだ者たちは、あきらめなかった。飢えて倒 れて死ぬまで大地を削った。仲間の死体を食料として、亡者たちは掘り続けた。道具が磨り減ると、仲間の骨を使った。爪で地面を引っかいた。指がだめになる と次は歯だった。彼らは狂っていたのだ、もちろん。
生き残りがあと三人まで減ったとき、最初に死んだ仲間が、荒野の奥から帰還した。次に帰って来た者は、何人かの新たな仲間を連れてきた。
サイクルが閉じた。
少しずつ、少しずつ、薄紙を一枚一枚剥ぐように、穴は深くなっていった。

どれほどの時が過ぎたのか、突然、穴の底が崩落し、彼らの苦闘は終わりを告げた。生き延びた者もいたが、多くの仲間が埋め殺された。かまわない。いずれ帰ってくるだろう。
そこは、石造りの、広大なネクロポリスだった。

ネクロポリスは、死者にとってすら稀な、圧迫感を感じるほどの静寂につつまれていた。そして暗黒。

1/13/2005

動物使い

「やあ、はじめまして。私、(ティンパニのような楽しげな旋律。パンポン・タントン・コン)です。アルタイルのケトルドラマーです」
「ブー」
またはじまった、とエミリオ・ゴルジは思った。地球に来たての異星人は皆、家畜に向かって挨拶する。もちろん飼い主にもするのだが。人間と動物の区別がつかないのか。しかし野生動物と人間はちゃんと識別できるらしい。不思議なことだ。
ケ トルドラマー種族の頭部は、八個のルーペを、柄の先を軸に扇のように開いた形をしている。ルーペにはレンズの代わりに鼓膜が張られていて、発声器官と聴 覚器官を兼ねている。一番高い所にある一対の鼓膜が一番小さく、左右に離れるにつけ大きくなっていく。それぞれ帯域が異なるわけだ。
「失礼ですが親御さんにはあんまり似ておられませんな」
当たり前だ。
「それは豚です。私の子じゃない。家畜ですよ」
ゴルジは本職の農夫だが、実は国連職員でもある。肩書きはずらずら長いが、要するに異星人にイタリアの農村生活を体験してもらおう、というホームステイのホストが仕事だ。
(パンポン・タントン・コン)は絶句しているように見えた。
これまたいつものことだ。イタリア語を自由に操り、家畜という言葉を知っていてさえ、実物を前に、異星人はあからさまにショックを受ける。
マルコに来てもらってよかった。第三者から説明されれば納得するだろう。さもなくば、新しい下宿人は、猫のルーシーや犬のシーザーにまで、いちいち自己紹介をしかねない。

マ ルコはシリウス系のミラーボール星から来たクイックシルバーだ。ミラーボール星は、六千年前、シリウスBの新星化によって大気を引き剥がされ、惑星自体 も鏡面のように磨かれてしまった。住民は、全身をサイボーグ化することで生き延びた。手にも足にも変形自在の、反射性の絶縁皮膜に包まれた、水銀の滴のよ うな生物。
ゴルジの農場にひと月前から逗留しているが、最初はこのケトルドラマーより衝撃が大きかった。なにしろ彼の故郷では、クイックシルバー 種族以外の生物は、 彼が生まれる遥か以前に絶滅している。一つの星に複数の生物種が存在すること自体が異常なのだ。なのに、ああ、先祖の骨よ。地球の人類種族は、他の動物種 を傍らに住まわせているのです。
マルコ(ゴルジがつけた名前だ。彼の本名は一瞬の電波信号である)はケトルドラマーに向けて絶縁皮膜の一部を振動させた。
「はじめまして(パンポン・タントン・コン)。私は、マルコと呼ばれています。ごらんの通りクイックシルバー種族のものです」
同時に、人間には聞こえない高周波の集束ビームを照射した。
(動揺するな。冷静を装え。人類種族に警戒させるな)

ケトルドラマーは、見たところ人間と同じ、二本の腕と一個の頭を持つ二足歩行動物である。だが実際には左右対称の六肢生物から進化した。頭に見えるのは音波の送受信に特殊化した一本の腕にすぎない。では残る一本は?
衣 服の襟元を止めるブローチの奥に、「頭」をそのままミニチュアにした八本指の鼓膜の束が隠されていた。ブローチに刻まれた、彫刻に偽装した開口部を通じ て、超音波を送受信できるのだ。この能力は人類には秘密にされていた。自衛のためである。星際社会にとって、新参者である人類種族は、いずれ敵対するかも しれない相手だ。
(パンポン・タントン・コン)は、マルコと同じように、二つの周波帯で返信した。
「よろしくお願いします、マルコさん(資源動物を栽培するなんて。異常行動だ)」
「こちらこそ。旅はいかがでしたか?(地球では普通だ。旅は快適だったろう?)」
「快適でしたが、何せ長旅でね‥‥(そうなんだ。乗り物に乗っている間、生命維持装置の負荷がゼロだった。わが種族の代謝を分析したに違いない)」
ゴルジは慌てて豚を足元から追い払った。
「おっと、こりゃいかん。お疲れでしょう。中へどうぞ」
「荷物は私が持ちましょう(人類種族にとっては標準の手続きだ。警戒は不要だ)」
「いえ、お構いなく(しかし、脅威だ)」
家路をたどる間、ゴルジが旅人にあれこれ世間話を振ったが、二人の異星人は適当に受け答えしながら、無音の対話を続けた。
(君の体は、われわれクイックシルバーと違って、物質循環が閉じていない。痕跡が残るのは人類種族のせいではないよ。分析されても仕方あるまい)
(だが、黙っておってもよいものを‥‥いきなり自ら暴露するとは‥‥愚かな)
(違う。人類の行動原理において、知識を独占することは、しばしば優先順位が下がる、というだけのことだ。むしろ苦痛をなくすこと、快適にすることが優先される、普通とは逆に)
(なんで地球人が私を楽しくしなきゃならんのだ)
(彼らには生物種の区別がつかないのだ。不思議なことに)
(‥‥)
(私の知見に価値があることが理解できたと思う。ついては代価として協力を求めたい)
(‥‥)
(彼らを警戒させてはいけない。われわれ双方の不利益につながる)
(‥‥君の仮説が却下されるまで、その方向で行動することに同意する)
ケトルドラマーの偽りの平静は、しかし一分も持たなかった。
農家の扉を開けると、そこにいたのは猫のルクレツィアと犬のチェーザレ。寄り添って昼寝している。
さて、そのとき人類はまだ知らなかったが、後にスナドリネコとウルフリングと呼ばれることになる種族がある。同じ惑星に生まれたがために、生息環境を巡って熾烈な争いを続けている、不倶戴天の敵同士だ。同じ場所にいて、流血沙汰にならないはずの無い者たちだった。
姿は犬と猫によく似ている。(パンポン・タントン・コン)も誤認した。だがそのとき得た彼の霊感は正しい。
人類の本質は動物使いだ。膝が崩れるような恐怖とともに、彼は未来を脳裏に描いた。
退化して飼いならされた愛玩動物、かつてのケトルドラマーの末裔を。