大分県の県木は豊後梅、県鳥はメジロ。そして県乗り物はホバーである。大分は日本で唯一、ホバークラフトの定期航路が存在する県なのだ。
騒音や燃費など、ホバークラフトにはいろいろ弱点があるが、大分県民はこの乗り物を便利に使っている。
特に大分市内には、四人乗りのホバータクシーを運用している会社が二軒もある。大分ホバーと豊後ホバーである。大分駅前の乗り場には、南国らしくカラフルな小型エアクッション艇がいつも待機しており、列をなす乗客を収容しては、次々に滑り出して行く。
ホバータクシーの特長はもちろん水陸両用だということである。離島の多い大分県では、とても重要なことだ。客が行き先の島を告げると、運転手はただちに道 路を離れ、最寄りの海岸から海に乗り入れる。海上の巡航速度は時速一〇〇kmを超える。豊後水道は多くの漁船や客船で賑わっているが、ホバータクシーは障 害物の間を鳥のようにすりぬけながら、一路島々へと急ぐのだ。
しかし問題が無いでもない。運転手たちは海の男なのだ。当然気が荒い。だから、特に地上の道を走っているときなど、ライバル社のホバーが必要以上にゆっく り走っている(と思える)と、「じゃまでごわす」とか怒鳴りながら、もうガンガンぶつけてしまう。だが、安心してほしい。エアクッションのスカートが、衝 突の打撃をかなり吸収してくれるのだ。ホバータクシーは安全な乗り物なのである。
4/23/2005
無題
死神博士は激怒した。いならぶ助手たちには、手術着を通して肩から立ち上る青白い炎がはっきり見えた。解剖台上にだらりと広がった蛙のような贅肉の塊、こ りゃなんだ? 体の自由は奪われていても、意識は保っているだろうに、抵抗する気力も無い濁った眼、見苦しく緩んだ体、内臓器官の不調を疑わせる荒れた 肌。
博士は握ったメスを逆手に持ち替え、膨れた腹に突き立てた。
「───! ───!」
苦痛に身をよじり、初めて生き物らしい徴候を見せた被験者に一瞥もくれず、博士は後ろ上方の見学室に向き直り、手術帽とマスクをかなぐり捨てて、ガラスの向こうの軍服の男に指を突きつけた。
「やいゾル! この被験者はどういうつもりだ! いまどき秋葉原だってまだ生きのいいのが見つかるぞ。もっといい素材を持って来い!」
「おまえは板前か!」
ゾル大佐は言い返したが、内心ばつの悪い思いをしているようで、弱弱しく言い訳した。
「頭脳明晰、身体頑健、志操堅固なんてのは滅多におらんよ。改造しても逃げちゃうし」
「人事みたいに言うな! まったくもうっ」
そそくさと手術室を片付ける助手たちを尻目に、博士は足音も荒く手術室を後にした。
死神博士は鎮静剤の必要を感じていた。かつては傲慢以外の罪に縁の無かった彼だが、ゾル大佐と組んでから怒りっぽくなった。普段着のグレイのスーツに着替え、研究室のデスクに戻ったが、思索に集中できない。
こういうときはあれに限る。手の中に、一組のカードが、魔法のように忽然と現れる。タロット。ピアニストのように長い、汗ばむことのない指に操られ、カードは風にそよぐ木の葉か、流れる砂のような音楽を奏でた。
絶好調だ。ひとしきりカードと戯れた後、博士はデスクの上に、過去、現在、未来を表す三枚のカードを裏向きにスプレッドした。次の一瞬、残りのカードが隠しポケットに消える。
おもむろに過去のカードを開く。
死神。ラッキーカードだ。
次に現在。
悪魔。
(悪魔女医‥‥しばらく会っていないな)
デスクの上のカードをなでると、それらは消滅する。未来はいつも見ない。彼は占いを信じない。
悪魔女医は、死神博士の同僚である。かつて彼の助手として組織に加入したのだが、他の十把一絡げと違って本物の才能があるのがわかったので、さっさと独立 させた。以来、国際人体改造学会の最先端の座を、二人で分け合ってきたと信じている。手術の腕もいい。最近は、痛くないという理由で彼女を指名する被験者 が多いということだ。
(軟弱者どもが)
とはいえ、死神博士自身も、自分の手術は頼みたいと思っている。世の中の誰に対しても冷淡で、よくて実験材料、しばしばそれ以下としか思わない博士だが、彼女は別だ。
ただひとつ困ったことがあるとすれば、タコ好きの変わり者だということだ。
確かにヒョウモンダコの毒性や、擬態能力は大したものだ。だが改造人間のモチーフとしてはやはりイカだ。イカで決まりだ。このへんで意見がかみ合わず、い つも喧嘩になってしまうのだが‥‥季節の和菓子でも持って遊びに行こう。手づから茶を淹れてくれるだろう。いつものように。
博士は握ったメスを逆手に持ち替え、膨れた腹に突き立てた。
「───! ───!」
苦痛に身をよじり、初めて生き物らしい徴候を見せた被験者に一瞥もくれず、博士は後ろ上方の見学室に向き直り、手術帽とマスクをかなぐり捨てて、ガラスの向こうの軍服の男に指を突きつけた。
「やいゾル! この被験者はどういうつもりだ! いまどき秋葉原だってまだ生きのいいのが見つかるぞ。もっといい素材を持って来い!」
「おまえは板前か!」
ゾル大佐は言い返したが、内心ばつの悪い思いをしているようで、弱弱しく言い訳した。
「頭脳明晰、身体頑健、志操堅固なんてのは滅多におらんよ。改造しても逃げちゃうし」
「人事みたいに言うな! まったくもうっ」
そそくさと手術室を片付ける助手たちを尻目に、博士は足音も荒く手術室を後にした。
死神博士は鎮静剤の必要を感じていた。かつては傲慢以外の罪に縁の無かった彼だが、ゾル大佐と組んでから怒りっぽくなった。普段着のグレイのスーツに着替え、研究室のデスクに戻ったが、思索に集中できない。
こういうときはあれに限る。手の中に、一組のカードが、魔法のように忽然と現れる。タロット。ピアニストのように長い、汗ばむことのない指に操られ、カードは風にそよぐ木の葉か、流れる砂のような音楽を奏でた。
絶好調だ。ひとしきりカードと戯れた後、博士はデスクの上に、過去、現在、未来を表す三枚のカードを裏向きにスプレッドした。次の一瞬、残りのカードが隠しポケットに消える。
おもむろに過去のカードを開く。
死神。ラッキーカードだ。
次に現在。
悪魔。
(悪魔女医‥‥しばらく会っていないな)
デスクの上のカードをなでると、それらは消滅する。未来はいつも見ない。彼は占いを信じない。
悪魔女医は、死神博士の同僚である。かつて彼の助手として組織に加入したのだが、他の十把一絡げと違って本物の才能があるのがわかったので、さっさと独立 させた。以来、国際人体改造学会の最先端の座を、二人で分け合ってきたと信じている。手術の腕もいい。最近は、痛くないという理由で彼女を指名する被験者 が多いということだ。
(軟弱者どもが)
とはいえ、死神博士自身も、自分の手術は頼みたいと思っている。世の中の誰に対しても冷淡で、よくて実験材料、しばしばそれ以下としか思わない博士だが、彼女は別だ。
ただひとつ困ったことがあるとすれば、タコ好きの変わり者だということだ。
確かにヒョウモンダコの毒性や、擬態能力は大したものだ。だが改造人間のモチーフとしてはやはりイカだ。イカで決まりだ。このへんで意見がかみ合わず、い つも喧嘩になってしまうのだが‥‥季節の和菓子でも持って遊びに行こう。手づから茶を淹れてくれるだろう。いつものように。
世界時計の間
死者は、いつもこの薄暗い荒野で目を覚ます。
昼も無く、夜も無く、草一本も生えない、見渡す限りの赤土の荒れ野だ。目につくほどの岩も無い。何度も何度も、繰り返し蘇るあまたの死者の足の下で、すっかり磨り減ってしまったのだ。
ここは永遠の流刑の地だ。ひとたびこの景色を目にした者は、これからずっと、何度も見ることになる。
こ の荒野にも果てはある。その先は文字通りの地獄だ。だがこの場所には目に見える変化というものがない。風景と同じくらい荒廃した時間が、いつまでも不毛 に流れてゆくだけだ。だから死者たちはみな、この感覚遮断の牢獄に耐えかねて、地獄をめざして歩みだすのだ。方角はどうでも構わない。他に行き先は無い。 荒野のかなたは永遠の絶滅収容所があるばかりだ。
誰も確かめたものがいないが、地獄の亡者の間に伝わる根強い噂があって、地獄にもまた限りがあ り、首尾よく横断しきったものは、楽園か現世かそれとも別の 何かか、とにかく別の場所に行けるのだという。もっとひどい地獄だという意見ももちろんある。当然だ。希望は地獄で最悪の拷問具だなんてことは誰でも知っ ている。そして永遠に蘇りつづける死者たちは、無限に死の行進を続けるのだ。
しかし――
あるとき、ひと群れの亡者たちが、それまで誰も試さなかったことをした。地獄から赤い塵の荒野に戻っていったのだ。彼らの手には、何本かの粗末な道具が握られていた。そして亡者たちは――邪魔が入らぬよう、境界から十分に離れて――穴を掘り始めた。
幾 星霜の間、無数の足に踏みしめられてきた赤土は、ほとんど堆積岩のように硬くなっていた。だが、道具を持ち込んだ者たちは、あきらめなかった。飢えて倒 れて死ぬまで大地を削った。仲間の死体を食料として、亡者たちは掘り続けた。道具が磨り減ると、仲間の骨を使った。爪で地面を引っかいた。指がだめになる と次は歯だった。彼らは狂っていたのだ、もちろん。
生き残りがあと三人まで減ったとき、最初に死んだ仲間が、荒野の奥から帰還した。次に帰って来た者は、何人かの新たな仲間を連れてきた。
サイクルが閉じた。
少しずつ、少しずつ、薄紙を一枚一枚剥ぐように、穴は深くなっていった。
どれほどの時が過ぎたのか、突然、穴の底が崩落し、彼らの苦闘は終わりを告げた。生き延びた者もいたが、多くの仲間が埋め殺された。かまわない。いずれ帰ってくるだろう。
そこは、石造りの、広大なネクロポリスだった。
ネクロポリスは、死者にとってすら稀な、圧迫感を感じるほどの静寂につつまれていた。そして暗黒。
昼も無く、夜も無く、草一本も生えない、見渡す限りの赤土の荒れ野だ。目につくほどの岩も無い。何度も何度も、繰り返し蘇るあまたの死者の足の下で、すっかり磨り減ってしまったのだ。
ここは永遠の流刑の地だ。ひとたびこの景色を目にした者は、これからずっと、何度も見ることになる。
こ の荒野にも果てはある。その先は文字通りの地獄だ。だがこの場所には目に見える変化というものがない。風景と同じくらい荒廃した時間が、いつまでも不毛 に流れてゆくだけだ。だから死者たちはみな、この感覚遮断の牢獄に耐えかねて、地獄をめざして歩みだすのだ。方角はどうでも構わない。他に行き先は無い。 荒野のかなたは永遠の絶滅収容所があるばかりだ。
誰も確かめたものがいないが、地獄の亡者の間に伝わる根強い噂があって、地獄にもまた限りがあ り、首尾よく横断しきったものは、楽園か現世かそれとも別の 何かか、とにかく別の場所に行けるのだという。もっとひどい地獄だという意見ももちろんある。当然だ。希望は地獄で最悪の拷問具だなんてことは誰でも知っ ている。そして永遠に蘇りつづける死者たちは、無限に死の行進を続けるのだ。
しかし――
あるとき、ひと群れの亡者たちが、それまで誰も試さなかったことをした。地獄から赤い塵の荒野に戻っていったのだ。彼らの手には、何本かの粗末な道具が握られていた。そして亡者たちは――邪魔が入らぬよう、境界から十分に離れて――穴を掘り始めた。
幾 星霜の間、無数の足に踏みしめられてきた赤土は、ほとんど堆積岩のように硬くなっていた。だが、道具を持ち込んだ者たちは、あきらめなかった。飢えて倒 れて死ぬまで大地を削った。仲間の死体を食料として、亡者たちは掘り続けた。道具が磨り減ると、仲間の骨を使った。爪で地面を引っかいた。指がだめになる と次は歯だった。彼らは狂っていたのだ、もちろん。
生き残りがあと三人まで減ったとき、最初に死んだ仲間が、荒野の奥から帰還した。次に帰って来た者は、何人かの新たな仲間を連れてきた。
サイクルが閉じた。
少しずつ、少しずつ、薄紙を一枚一枚剥ぐように、穴は深くなっていった。
どれほどの時が過ぎたのか、突然、穴の底が崩落し、彼らの苦闘は終わりを告げた。生き延びた者もいたが、多くの仲間が埋め殺された。かまわない。いずれ帰ってくるだろう。
そこは、石造りの、広大なネクロポリスだった。
ネクロポリスは、死者にとってすら稀な、圧迫感を感じるほどの静寂につつまれていた。そして暗黒。
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