5/11/2007

ゲラクレス号生還

草もまばらなシベリアの荒野の真ん中に、とつぜん煮えたぎるマグマの湖が出現したのは、三日前のことだった。
想定された事態ではあった。
三日前、機体を錐状に変形させた地殻貫通ヴィークル<ゲラクレス>が、二万トンの質量を推進力に変えて、プラットフォームに開いた発着口から大地の底をめがけ、まっしぐらに飛び込んでいったのだ。

<ゲラクレス>は、僅かな居住空間と動力源、付属機器からなるヴァイタルパートを、力場で整形した中性子流体薄膜で包んだ、変形自在のアメーバのような乗り物である。
中性子流体は中性子星の構成物質と同じもので、おそろしく密度が高い。だから、機体を変形させ、重量を一点に集中すると、岩盤をも易々と突き破り、自重で沈降することができるのだ。
浮上と水平移動は、アルキメディアンスクリュー状のひれを形成して、マグマの中を泳ぐことで行う。
さらに中性子流体は優れた断熱材でもある。超流動体なので、粒子どうしが相互作用せず、熱伝導が起こらないのだ。

一方、その重量のために、<ゲラクレス>の発着プラットフォームの立地条件は、ひどく制限されることになった。
機体に加えてプラットフォームの巨大な重量を支えることができる安定した地殻、かつマグマが噴出しても環境破壊が許容できる荒地。そして選ばれたのはシベリア盾状地だった。

プラットフォームは、耐熱超合金の無数の脚に支えられた、直径4キロの円盤である。
中心に向かってわずかに窪んでおり、その底に、自動車のターンテーブルくらいの大きさの発着口があって、今は開いている。
発着口を中心に、構造材の位置を示すオレンジ色のペイントが蜘蛛の巣状に走っているが、他には何も無い。
何か設置されていても、二万トンの超重量が上に乗ったら、間違いなく潰されてしまうからだ。
だから、全ての観測ステーションは、円盤の縁にある。そしてそこから、カメラを通して、あるいは肉眼で、無数の視線が発着口に注がれていた。
ある者は快適な室内で、またある者は暑くて窮屈な防護服に閉じ込められて。
プラットフォームの乗員は、振動に備えて、命綱で持ち場に拘束されながら、一〇〇キロ離れたヴィルイスクの遠隔司令室では、命綱はなかったが、管制員は緊張で同じくらい身を強張らせて、ヴィークルの帰還を待っていた。

と、発着口の真下から、<ゲラクレス>の、銀色のネジのようなドリルビットが回転しながら飛び出した。
ただ銀色なだけではない。たった今まで地中にいたとは思えない、汚れ一つ無い完璧な鏡だ。
表面の凹凸は水素原子の直径の一万分の一以下。これ以上完全な鏡面はブラックホールのシュバルツシルト面の他に無い。
空の青とマグマの赤熱光を反射して、夢のように輝いている。
<ゲラクレス>は、地上に出た先端部を折れ曲がった十二本の脚に変形させ、着艦モードに移行した。
最初に脚の半数を、オレンジ色のペイントの交点に、慎重に同時に下ろした。
ハンマーで叩いたような金属音がとどろき、プラットフォーム全体が鐘のように鳴った。
パイロットは振動がおさまるまで待った。万が一、足の踏み場を間違えて、プラットフォームを破壊するようなことになったら‥‥
<ゲラクレス>が帰れる場所は、地上には他のどこにもない。
だが、巨獣の呻きはゆっくりと遠のいていった。
溶岩に基部を浸されながらも、設計通り、プラットフォームは持ちこたえたのだ。
やがて、ヴィークルは蜘蛛のようにマグマの海から這い上がると、重量を分散させるため、今度は甲板上にぴたりと貼りつき、フライパンの上でバターが溶けるように拡がった。
輝く湖のようだった。映し出された空を、雲がゆっくりと横切っていった。

揺れが収まるか収まらないかのうちに、待機していた観測ステーションの扉を押し破るようにして、レス・パブリカ・プラウダ紙のクルーの一部が、ドーラ・コズロフ特派員を先頭に、いっせいに突入した。
協定違反の無謀な行為だったが、クルーの残りに妨害されて、観測員や他の記者は制止できなかった。
だから、拡がったパラシュートの下から這い出すように、ヴァイタルパートが中性子流体の外皮の縁から転がり出て、パイロットがハッチからプラットフォームに滑り降りたとき、最初にマイクを突きつけたのはドーラだった。
ロシア陸軍から出向したパイロット、アレクサンドル・バクスト大尉は、予定と違う出迎えにたじろいだ。
「えっ、今からテレビに? 生中継!? そりゃまずい‥‥」
大尉は三日分の無精ひげで、まるで野人のようになっていた。
「すいません、コクピットに鏡を持ち込むのを忘れまして。ちょっと失礼」
彼は振り向いて、ポケットから髭剃りと泡の缶を出し、中性子流体のきらめく表面を覗き込みながら、待ちきれなかったように顔を剃りはじめた。

0 件のコメント: